【脱オタクファッションガイドの思い出を振り返って】洗練されたユニクロとファストファッションの台頭によって、熱狂的なムーブメントは起こり得なくなった

2022年2月24日

2000年代前半に隆盛を誇った、脱オタクファッションガイドというサイトを知っている人はいるだろうか?
今はもうないサイトだ。
今はなき、脱オタクファッションガイドに思いを馳せ、書籍化されている脱オタクファッションバイブルと、脱オタクファッションガイド改を読んでみた。


「ああ、懐かしい青春の日々…」と思い返すついでに、超ダイジェストで自分のファッション遍歴を振り返ってみた。
そして、ファッションの未来について考えてみた。
結論、ファッションを取り巻く市場の未来は暗そう。

脱オタクファッションガイドとは?

脱オタクファッションガイドとは、2002年12月に開設された今はなきWEBサイトだ。
当時はサイトではなく、HPという呼び方が一般的だったな…。
サイト開設当時、ぼくは13歳で中1だった。
脱オタクファッションガイドは、その名の通り、オタクファッションを卒業し、人に不快感を与えず、そして舐められないファッションをすることを標榜したハウツーサイトだった。
※当時、今よりもオタクに対しての偏見は強く、そして強烈なオタクファッションが跋扈していた。
お洒落になるためのハウツーというより、失敗しないハウツーを説くスタンスが印象的だった。
ダサい要素を排除すれば、及第点が取れるという方法論は正しい。
きっちり中1で脱オタクファッションガイドにたどり着いたかはあやふやだが、割と早熟なインターネッツピーポーだったぼくは、少なくとも中学時代から脱オタクファッションガイドをかなり参考にしていた。

ダサくない格好をするのが、今よりも遥かに難しかった、2000年代のあの頃

ぼくは当時のステレオタイプなオタクだったわけではない。
ちなみに、当時でいうオタクは今のオタクとは大分イメージが異なる。
当時のオタクが指すイメージは、電車男をイメージしてほしい。
電車男と言われて、ピンとこない人もいるだろうが…。

親が選んだ服ではなく、自分で選んだ服を買ってもらうようになったタイミングのぼくにとって、脱オタクファッションガイドはとても参考になった。
親が選んだ服はどうも気に入らない。
親が選んだ服を着るということが恥ずかしい。
でも自分で選んだ服もどこかダサい。
そんな思春期真っ只中のぼくのバイブルだった。
現代ならばダサくない服を選ぶことはさほど難しくないが、当時は一定の難しさがあった。
なぜならば、当時のユニクロは今ほど洗練されていなく、またファストファッションも存在しなかったからだ。
ユニクロを着ていることがバレれば、ユニバレと揶揄される世知辛い時代だった。
親に買ってもらえる予算感で、「とりあえずここで買っとけばダサくはなりにくいという」選択肢がなく、目利きが必要とされたハードな時代だった。

あの頃のぼくらは地雷原が主戦場だった

2000年代前半当時、自分で選んだ服を買ってもらうようになった中高生はどこで服を買っていたのか?
答えはジーンズメイト、ライトオン、そして今はなきカジュアルハウス306だ。
間違いない。

ぼくの周りでは、特にジーンズメイトと306が主流だったと記憶している。
今思えば、その3つの選択肢であれば圧倒的にライトオンだが、おそらく、装飾性が強いアイテムが多かったことが要因だと思う。
よく分からないなりに、みんなカッコつけたかった。
ジーンズメイトや306に足を運び、襟元によく分からん紐がついている、ドラクエの旅人の服みたいなカットソーや、

よく分からん英字が書かれたカットソーをチョイスし、ロンTの上に半袖Tシャツを合わせるのが最高に"なう"かったあの頃。
程なくして、「あ、これ後々『ファッション 黒歴史』ってなるやつや」と察し、ユニバレを恐れつつも結局ユニクロに回帰したが。
その辺りのシフトにも、脱オタクファッションガイドが大いに影響している。
ダサい要素を排除すれば、とりあえず見れるレベルになるという理論は圧倒的に正しかった。

エディ・スリマン率いるディオールオム旋風到来

高校時代は基本ユニクロ主体、そして安い古着を着たりしていた。
あと、丸井の初売りとかにお年玉握りしめていったくらいか…?
そんな中、高校卒業間近にバイトを始め、服にお金を使えるようになり状況が変わっていく。
私立高校に通っていたぼくの周りは、比較的裕福な家庭の友達が多かったため、いつも安物の服を着ていることがコンプレックスだった。
なので、バイトを始めて服を買うお金を稼ごうと思ったのだ。
そして、ちょうどそのタイミングでエディ・スリマン率いるディオールオムによる、スキニーデニム旋風が巻き起こっていた。

ルーズなスタイリングが主流だった当時、エディ・スリマンのタイトでロックな世界観は衝撃的だった。
女子高生のルーズソックスのように、裾をたわませたスキニーデニムは今見ても十分格好いい。
当時の2006年前後にファッションに目覚めた人は、少なからずエディ・スリマンに影響されているはずだ。
そして、メンズファッションにおいてスキニーデニムが定着したのは、エディ・スリマンによる影響だ。
そんな、エディ・スリマンによるスキニー旋風は、平成の初め生まれのぼくがリアルタイムで体験した、ほぼ唯一といっても過言ではないムーブメントだ。
そんなスキニーブームがあり、バイトを始めたという経済状況の変化もあり、服オタというほどではないもののかなりファッションにのめり込んでいった。
さすがにディオールオムは買わず、エイプリル77やヌーディージーンズ止まりだったが。

ある程度ファッションにのめり込んでから、今までの遍歴をざっくりまとめると、

  • 大学生前半:スキニーデニムに合う、ラッドミュージシャンやファクトタムなどのドメブラと、フレッドペリーなどのUKブランドにハマる
  • 大学生後半:デニムやスポーツウェア、アウトドアウェアを中心としたベーシックなカジュアルスタイリングに落ち着く
  • 社会人なりたて:なぜかユニフォームエクスペリメントなど、今更感ある裏原系にハマる
  • 社会人になって少し経ったころ:なぜかADYNなど、ハイストリートファッションにハマる
  • 今:デニムを中心としたベーシックなカジュアルスタイリング。武骨で、シンプルで、長く使えるアイテムが好き。

という感じ。
バイトを始め、服を買うお金を稼ぐようになってからは、脱オタクファッションガイドを参考にすることはなくなった。
トレンドが変わり、NGアイテムとされていたものがイケているアイテムになったり、逆に推奨されていたアイテムがめちゃダサアイテムになっていた。
最先端キメキメはハイスピードで大衆化ダサダサだ。
脱オタクファッションガイドはキメキメ路線の真逆だったが…。

ただ、それよりも何よりもファッションにのめり込み、色々な恰好をしていく中で、「ダサい恰好をしたくない」という負のモチベーションが消え去ったことが大きい。
脱オタクファッションガイドは、マイナスをゼロにもってくるハウツーだった。
ゼロからプラスに移行した人間には、必要性がなくなるのは当然だ。

試行錯誤なくして愛着なしとりあえずの正解が市場を小さくする

自分のファッション遍歴を振り返ったとき、色々と試行錯誤をする中で、「ダサい恰好をしたくない」というモチベーションから、「本当に自分が気に入るものを身に着けたい」というモチベーションに変わっていったことに気がついた。
当時は、今のようにユニクロが洗練されていなく、ファストファッションもなかった。
玉石混交の中から、試行錯誤をして自分でファッションを洗練させていく必要があった。
今はどうだろうか?
全身ユニクロでスタイリングしても、余程トンチンカンなサイズや色を選ばない限りダサく見えることはない。
H&Mに行けば、手軽に値打ちにトレンドも取り入れられる。
試行錯誤をするまでもなく、大してお金をかけることなく、とりあえずの正解に誰でもたどり着くことができる。
試行錯誤とは、自分で決断したことを試してみることだ。
自分の考えを試すことによって、自分なりの答えが見つかり、その答えに対して少なからず愛着を持つものだ。
人は愛着を持ったものに対してはお金を使う。
そして、試行錯誤の中で熱量が生まれ、熱狂的なムーブメントが起こるのだと思う。
一方で、自分の頭で考えることなくたどり着いた、とりあえずの正解に愛着を持つだろうか?
とりあえずの正解に沢山お金を使うだろうか?
とりあえずの正解から熱狂的なムーブメントが生まれるだろうか?
ファッションに関する市場は、ますます小さくなっていくような気がしてならない。